'23/8/13 主日礼拝「苦しみを受けられたキリスト」

聖書箇所 Ⅰ ペテロ 2:22~25

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

 

 人には苦しみは起るものです。その様な時、キリストの苦しみを覚えることは有益です。キリスト様が受けられた苦しみは、不当な苦しみでした。パリサイ派やサドカイ派の指導者は、イエスが、神を冒瀆する者と決めつけ、イエスを処刑しようとしました。また犯罪者として縛られ、殴られました。そして十字架を背負わされました。しかしこのような不当な苦しみを受けたにもかかわらず、キリスト様は、憎んだり、呪ったりすることなく、神様にお委ねしたのです。またキリスト様が受けられた苦しみは、私たちのために受けた苦しみでした。キリスト様が、私たちの罪をその身に負い、罪の裁きを受けられたのです。そのことによって、私たちの罪が贖われて、魂の癒しが与えられたのです。