聖書箇所 ルカ 11:5~13
ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。
日常的に天の父なる神様に祈り求める時、どのような姿勢で祈るがふさわしいか。
この聖書箇所では、遠慮せずに求めなさい、と例をあげて説いている。
第一の例えは、友人が突然に夜遅く、客をもてなすためのパンを求めて訪ねてきた。
当時は友達や旅人を受け入れ、もてなす文化があり、箴言17:17にも「友はどんなときにも愛するものだ~」とある。しかし真夜中はどうなのだろうか、非常識と受け取られかねない。ここで友人が恥を知りつつ、パンを求めるしかない事情を慮り、且つその「しつこさ」のゆえに何かしてあげたいと感じるだろう。
イエス様は、あつかましく恥知らずに祈りなさい、そうすれば神様がそれを聞いて、必要であれば、「与えられ、見いだされ、開かれる」と説いておられる。
もう一つの例えでは、父が子供に、魚を欲してるのに蛇を、卵を欲してるのにさそりを与えることなど決してないとある。物としては見間違えようのない物ではあるが、無形になると害になるものもある。父なる神様が子にあえて害をなす物を与えることは決してないと説いておられる。それどころか、聖霊という最上の物を与えたがっておられる、ということである。
神様のご臨在と御心を求め、神様との近づきを求めるのに遠慮はいらない。しつこく、厚かましく、恥知らずに祈るのがよい。神様は求める者に、与え、見出させ、開かれようとしておられる。神様は祈りを待っておられる。
申命記4:29 「あなたがたがあなたの神、主を探し求め、心を尽くし、いのちを尽くして求めるとき、あなたは主にお会いする」